向島日誌 : Mukae-jima diaries

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
trackback: -- | comment: -- | edit

奥出雲を抜けて帰る 山に登った船 

th__MG_9325.jpg

th__MG_9330.jpg

th__MG_9334.jpg

th__MG_9338.jpg

th__MG_9391.jpg

th__MG_9393.jpg

th__MG_9399_20111218180019.jpg

th__MG_9427_20111218180018.jpg
スポンサーサイト

松江 奥出雲の棚田 

th__MG_9269.jpg

th__MG_9271.jpg

th__MG_9272_20111214125817.jpg

th__MG_9303.jpg

th__MG_9312.jpg

th__MG_9292-1(ドラッグされました)

th__MG_9286_20111214125908.jpg

th__MG_9296.jpg

th__MG_9297.jpg

西郷 壇鏡の滝 

th__MG_9200.jpg

th__MG_9201.jpg

th__MG_9208.jpg

th__MG_9223.jpg

th__MG_9227.jpg

th__MG_9231.jpg

th__MG_9251.jpg

th__MG_9261.jpg

集落を巡る、船小屋 

th__MG_9081.jpg

th__MG_9106.jpg

th__MG_9113.jpg

th__MG_9120.jpg

th__MG_9126.jpg

th__MG_9132.jpg

th__MG_9142.jpg

th__MG_9144.jpg

th__MG_9152.jpg

th__MG_9155.jpg

th__MG_9158.jpg

th__MG_9164.jpg

th__MG_9174.jpg

th__MG_9179.jpg

th__MG_9186.jpg


朝、炊事場の軒下のテントで目を覚ましてみるも、雨。
軒下に引っ越したのは正解だった。

一日限りのキャンプなら帰って乾かせばすむが、
移動の連続が続く旅で一度テントをぐしょぐしょに濡らしてしまうと、パッキングして走っている間に生乾きになって
匂いがついたり、カビが生えたりと割と厄介なことになる。

キャンプ場の使用料金を回収しに来たおばあちゃんに「大変ねぇ~」と、いたく同情されたあと、
さて、とカッパを2重重ねに着込んで島の東部側の集落を巡る。

カッパ2重ねは、昨年の五島列島へのフィールドワーク時に編み出したヤケクソ技で、
モンベルのカッパの中では汎用品に入るHDBRの上に、旅先の「いない」で買った
3,980円の裏メッシュのカッパを重ねている。

どちらかというと発汗は少なく、高い風速に常に晒され跳ね返りの水で汚れる事が多い
バイクではゴアテックスはあまり意味がないのでこうしているのだが、この3,980円カッパは安い割には優秀で、
ダナーのブーツとモンベルのゴアテックスグローブと組み合わせると、相当な土砂降りでもまず濡れネズミは免れる。

(昨年は、島で常時使っているせいかおそらく潮の付着で防水性能が甚だしく損なわれている
 HDBR一枚の土砂降りの中の長距離移動の結果、宿毛の旅館に着く頃には文字どうり全身ずぶ濡れだった。
 途中、体がかちかちに冷えきってしまい、ルート沿いに運良くあった温泉で体を温めた後、
 ずぶ濡れの衣服を絞って再び着る羽目になった。こういう極端な目に会うと、人間はちゃんと学習するのである。)(続く)(實藤)


島後 

th__MG_8960.jpg

th__MG_9017-1(ドラッグされました)

th__MG_9028-1(ドラッグされました)

th__MG_9033_20111129214636.jpg

th__MG_9034.jpg

th__MG_9066_20111129214635.jpg

th__MG_9078.jpg


前日の4日は移動日。

別府港からフェリー「くにが」に乗り、島後の西郷港へ。
またもや事務仕事が発生していた事もあり、港近くの観光協会の休憩所でこりこりと書類作成。
島後でのベースキャンプとなった立木キャンプ場へ。
ここのキャンプ場は木立になっており、ふりつもりつつある落ち葉の上にテントを張る。

朝、起きるとざんざん降りの雨。
少し嫌な予感がして就寝用のサーマレストマットをめくってみると夜の間に少しづつ浸水したのだろう、
なんと、テントの中に水溜まりが出来ている。

グラウンドシート代わりに敷いていたシルバーマットの余白の部分を
テント下に折り込んでいなかった為、雨水を集めてしまったようだ。
出発前にホワイトベアの防水液を何回も塗りこんだとはいえ、これでは致し方ない。

昨日は、秋の気配が濃厚な、小さな木立のある気持ちのよい立地に嬉しい気分でテントを設置したのだったが、
油断したなぁ、と思いながら雨の中、外に出てシルバーマット引き抜き、一旦地面にたまった水を吸収させ、
テントの中に敷き詰めたシルバーマットの上に荷物を避難させる。寝袋がやられていなかったのが幸いだった。

雨、という事もあり資料館や郷土館を巡ることにする。
降りしきる雨の中、西郷港近くの玉若酢命神社へ。巨大な八百杉と独特の様式を持つ隠岐造りのお社。

社の右隣の山中にある古墳群を散策するため、雨の中、山に少し入ってみる。
この古墳群では山頂部の前方後円墳の周囲に十数個の円墳の痕跡が確認されているという。
時折、6号墳などの立て札はあるものの、樹木が生い茂っており、容易に視認する事は難しい。

隣接する代々、宮司を務められた億岐家の宝物殿には、律令制が成立した当時の駅鈴が残されている。
律令制が成立し、大和朝廷による中央集権体制が確立したのが7世紀ごろ、
とすると右隣の山中の古墳群はそれ以前の豪族のものなのかしらん、と思いを巡らす。

諸説あるにせよ、大和朝廷が成立する以前は、蝦夷、越、毛野、大和、吉備、出雲、筑紫、熊襲、隼人、
といった各地域の地域豪族の存在があり、現在は日本と呼ばれているこの列島も、
地域国家が数多く存在する地域であったと云われている。
網野善彦によると「日本」という概念が成立したのは7世紀以後のことだ。

狩猟採集生活のそれほど面的な領地の概念がなかったであろう縄文時代、
稲作が伝わり面的な領地の概念が成立したであろう弥生時代、
地域国家が成立し、各地で武力を伴った豪族の威信を示す様な古墳の造成が行われた古墳時代、
その中でも有力だった畿内の大和が各地を平定して、
中華思想の影響が濃厚な律令制を作り上げた飛鳥・奈良時代、
降りしきる雨の中、ごく大雑把な歴史のおさらいをしながら、
しかしまぁ人間の性質といったものはそう変わらんのだろうなぁなどと、とりとめもない事を考える。

雨の中、再びNX125を走らせて、島の北西部中程にある郷土館へ。

かっての庁舎だった趣のある明治時代の洋館の中に、ぎっしりと民具が保管されている。
人気のない板張りの郷土館の中を、ことりことりと歩く。

改装前の上野の科学博物館もどことなくこんな雰囲気だったな、と思う。

奇麗な芝生が広がる前庭の横には庭には30年前、隠岐から島根を航海した「からむし号」が保管されている。

足早に隣接する五箇創生館で、古典相撲と牛突きのドキュメント
(写真はかって牛突きの横綱をつとめた牛)を見学。
隠岐の古典相撲は2番取り組みになっていて、勝ち負けの遺恨を後に残さないという慣習があるという。

偶然、前日に内田樹先生のブログを読んでいた事もあり、ドキュメント映像を見ながら
少し考え込む。

日が暮れる頃、ベースキャンプに帰投。
相変わらずの雨、テントごとキャンプ場の炊事場の軒下に引越、ややくたびれる。(實藤)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。