向島日誌 : Mukae-jima diaries

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小豊島 


雷が鳴りをひそめ、あやしい雲行きも遠のいたのを見計らって、
11時過ぎ、小豊島を目指して出航。
その名の由来は豊島の近くにあるからというより、むしろ豊島に形が似ているから
という理由が大きいように思える。

一方。
瀬戸大橋を越えた西の彼方、佐柳島のほど近くにも手島-小手島があるのだけれど、
こちらは形に相関関係がなさそうである。

島の名前は面白いもので、大槌島があるかと思えば小槌島があり
直島の向かいには向島がある。
男木島に寄り添うようにして女木島があり、どちらが先か、犬島と犬ノ島がある。

主従関係であったり、並列関係であったり、島々は響き合っている。
グリッサンになぞらえるならエコ=モンド(世界の響き)といったところ。

島という存在それ自体が海を希求しているのと同時に(海から顔をのぞかせることなしに
島は島と呼ばれない)、此方の島は彼方の島を求めているらしい。



そんなことはさておき、小豊島である。
興味深かったのは、牛の畜産で名高いこの島らしく、波止場に畜魂碑が祀られていたところ。
鯨墓みたい。」實藤さんがつぶやく。
捕鯨が盛んだった山口の青海島でも、同じようにして鯨を祀っていたことを思い出す。

人間と動物とのあいだの社会的非連続について生涯考え続けたレヴィ=ストロースは、
『パロール・ドネ』のなかで、個体の死の認知と自覚化が人間社会を動物のそれから
分断する決定的な基点となったことを論じている。
とするならば、
ひとが牛や鯨を祀る行為の意味は何なのか。
難しく考えるまでもなく、きっとそれは両者の連続を取り戻す試みなのだと思う。
(芦塚)
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準備 

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春に植えた固定種の野菜が農業番長、よっちゃんにより見事に育っている。
垣根の手入れ、原っぱに生い茂っていたセイタカアワダチソウをばさばさ切る。
川俣丸再び海へ、係留ロープ、船倉を整理する。ポスターをもってwe love naoshima様にご挨拶。
カナル号洗浄などなど。(實藤)

船底塗装 

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6日に島入り。

参加者の皆様のメール応対、プロジェクト船、筒井さんにお手伝い頂き、
川俣丸のドック引き揚げ、船底及びデッキ塗装、
カナル号を下ろし2馬力エンジンの動作チェック、海図の発注などなど。(實藤)

女子きたる 

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さて、ワークショップを10日後に控え、
この日はお隣の直島は直島福武美術館財団で働く女性チームのご来訪。

普段は、朝起きてもろもろの家事の後、ヨッチャンこと竹中君は芝刈りに、
私、實藤は川に洗濯に、ではなく、竹中君は勤務先の直島のカフェ「中奥」に出勤し、
私は、木工所の整備等、もろもろの制作作業にあたる。

当プロジェクトは、海で隔てられた島が舞台である。

陸続きであれば、作業を覗きにきてくれる島民さんとの茶飲み話ついでに
輪も広がろうかというものだが、自家用船でもない限り僅か150mの海峡といえど
海を越える事は相当にハードルの高い行為である。
大抵は、毎日作業を覗きにくる猫を相手に静かな時を過ごす事になる。

カフェ中奥は、夜も営業している事もあり、お隣の直島で働く若い世代の憩いの場でもある。

「せっかく近くなんだから仲良く出来る人とはなかよくしたいよね。」

ということで、当プロジェクトの親善大使かつ清潔部長を買って出てくれた竹中君により、
当プロジェクトには、清潔と女子パワーがもたされたのであった。

夜、合流、プロジェクトハウスでの大まかなプロジェクトの概要のオリエンテーション後、
1日前にいそいそと仕込んだカレーを食し、歓談後、就寝。

開けて23日、集落を散策し、アババの浜の海岸清掃を行った後、
松の木チームと、母屋の洗面台前の煉瓦テラス制作チームに別れて、ミニワークショップ開始。

去年の冬に枯れ、復活なるかと春まで様子を見ていた松の木だったが、
先日の爆弾低気圧で畑の梅の木がまっ二つに割れてしまった事もあり、
立ち枯れのまま脆くなってしまえば母屋の家屋に損傷を与えかねない事もあって、
台風の季節を迎える前に早々に対処しなければと考えていた。

枝を落とした後、ロープをかけて安全な距離をとって松の木を倒す。
一方テラス制作チームは、あらかじめ収集しておいた庭に転がっていた古煉瓦もろもろを
再利用して、10年前から存在した様な可愛らしいテラスを制作。

ささやかにワーク・イン・プログレスの一日。賑やかに作業、楽しい。(實藤)

などなど 

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3月中旬に島入りして、木工所の整備を続けていた。

この1カ月でいろいろな事があった。

3月末にヨッチャンが越して来た。
少し一人で住むにはやや広すぎる母屋の清掃が行き届いていなかった事もあり、
2人でルールを作って、毎朝の30分の清掃時間を設け、その後のジョギングが日課になった。

毎日全部は無理なので1週間でローテーションを組んで月曜日は台所、
火曜日は玄関と廊下という形で掃除箇所を移動してゆく。
これは実に大きな進展で、2人で30分かけてじっくり一カ所を掃除するのでかなり丁寧な掃除が出来る。
家が清潔に保たれるというのは随分気持ちのいい事だ。

木工所の整備も徐々に進める。

これまでは庭でブルーシートをかけて木材を保管していたのだが、やはり長期間となると島入りするごとに
ブルーシートをめくって見ると雨水が染み込んで木材が徐々に傷んでいるのが見て取れた。
木材をストックするスペースを確保するには、玉突き的にもう一つある庭奥の納屋を整頓して、
木工所脇の倉庫から、去年のワークショップで仮置き的に詰め込まれていた古い農作業や木桶を移動させる必要がある。

庭奥の納屋は2004年の高潮の被災のせいか、土砂の山と化した傷んだ肥料袋をかき出す所から作業が始まる。
燃やせるものは、ドラム缶でどんどん燃す。
川俣丸で何度となく宇野に渡ってバスに乗り、ホームセンターに材料を仕入れに出向く。
新しく届いた工具箱に工具を整理し直し、工具のコンテナの収納棚、下見板張りの壁、窓、建具、等々。

そうこうしている間にも雨が降ったり、プロジェクトのポスターの制作、畑を耕し、
件の爆弾低気圧で畑脇の梅の樹がまっぷたつに折れたのをチェーンソーで細かくきったりなどなどなどなど。
(實藤)

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