向島日誌 : Mukae-jima diaries

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井島考 

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さて、昨年末の井島への紀行を振り返って、考古学調査チームのリーダー、
遠部隊長より、レポートを寄稿頂きました。

研究者の目による、より踏み込んだ内容のレポートです。
(なお、この調査の様子は22日にNHKの番組内で放映されました。)

それでは、どうぞ。

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 井島考2012 その1
 
 私はかつて「砂浜に消えゆく遺跡たち」と題し、井島のことを紹介したことがある。
 簡単にそのアウトラインを紹介しよう。
 
 豊島水ヶ浦の対岸に位置する、井(石)島は、行政上、香川県直島町(井島)と
 岡山県玉野市(石島)によって二分される。

 江戸時代の元禄6(1702)年に直島町と胸上村の間で土地境界論争のすえ、
 胸上側より3軒の農家が入植した。それ以降、生業の基本は農業・漁業であるが、
 石材の採掘業も行われていたようで(『児島諸島及び石島の民俗』1976)、
 その可能性を示す場所も存在する。
 
 石島側には、古墳群が存在し、今も、人も暮らしている。
 これに対し、井島側にも古墳はあるが、人家は存在しない。

 その他に、井島側には、いわゆる旧石器時代のナイフ型石器のタイプ名として、
 著名ないわゆる鞍掛鼻(くらかけばな)遺跡や、縄文時代早期の貝塚、
 井島大浦遺跡、鞍掛浜の製塩遺構などが所在する。

 特に、鞍掛鼻はいわゆる「井島型ナイフ」として知られ、研究者間では有名な場所である。
 そして、この目の前の場所で、豊島産業廃棄物不法投棄事件はおこったのである。

 さて、この鞍掛には、鞍掛浜遺跡という大規模な製塩遺構があることもよく指摘されるが、  
 井島大浦遺跡付近の製塩遺構はあまり知られていない。
 しかし、この場所も、約半世紀前から知られている場所で、古墳時代後期に属する。
 
 これらについては、これまで踏査等で確認されているものの記録作業は実施されておらず、
 コンピューターシステム株式会社と協力して、レーザー測量による記録化を進めている。
 測量の結果、かなりの規模の製塩遺構が現存することが明らかとなった。
 一部に砂を被っているため、全貌が明らかでないが10数mにおよぶ製塩遺構が良好に存在しているようだ。
 
 さて、そういった作業の一環で行った、年代測定では、約1500年前と考えられる古墳時代の製塩遺構とは
 乖離した数万年前を示す測定結果が得られている。これはどういうことであろうか。
 また、測定したサンプルを観察してもらったところ、いわゆる木材ではなさそうで、
 化石等に由来する可能性が 高い、という。
 
 日本では化石燃料の歴史は古くなく、またあまり人の活動の少ない井島側の砂浜では猶更、
 不思議な現象である。
 
 このことから判断すると、1つの仮説として、井島の砂浜を舞台にした、
 遺跡破壊の可能性が今も進行している可能性が指摘される。
 そのことを裏付けるように、ビーチのあちこちで焚火の痕跡が確認される。
 
 数年前に確認した状況から判断すると、流水が枯れつつあり、
 なおかつ、2011年現在、製塩遺構に多くの砂がかぶさっており、遺構保護の観点からはきわめて問題がある。
 また、いわゆる「遺跡地図」には記録されているが、一般的には全く周知されていないため、
 無意識の破壊に対する歯止めは基本的にはない。
 
 本島のように、島において無人(人がはいりにくい)場所における遺跡保護活動についても、
 今後の大きな課題としなくてはならない。
 
 逆に言えば、目的意識をもち、「島へ」向かう前に知るべき事があることを私達は知らなくてはならない。

 徳島大学埋蔵文化財調査室 遠部 慎
                               (ポスター制作、デザイン/藤井弘)
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春が来るまで 

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デッキが完成する。

やや、ささくれだっていた天面にサンダーをかける。
boschの新しいタイプのオービタルサンダーはペーパーの取り付けが
マジックテープになっていてとても使いやすい。
(半年程前に、宇野のダイキで半額になっていたのを目ざとく見つけて購入していたのだ。ふふふ。)
オマケでついていたペーパーが尽きた所で作業終了。

2日の制作開始から10日目。風邪でダウンした3日を除いて一週間程で
3000×9000の平面が出現した。

周辺整備ふくめてまだまだやる事は残っているが、これで一旦の節目。

今はまだ寒いが、春が来て陽気が指す季節になると、ごろんと横になる誰かの姿が現れるだろう。
一年を通して、このデッキからいろんな風景が見えるはずだ。(實藤)

デッキの天 

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デッキの天面を貼る。

この日は藤平さんに参加頂く。
藤平さんはmukae studiesが始まって以来、毎回ご参加頂いている。
すこしづつではあるが、周辺地域の方に興味を持って頂いてご参加頂けるのは本当に有り難い。
(次回の開催は春です。それ以前にも可能な限り島に滞在しますので興味のある方は
 ぜひご参加下さい。)

5、5mmのベニヤをスライスしたものをガイドにして、杉板を貼ってゆく。
反っていたり、曲がっていたりする板を矯正しながらの作業。

ポットにコーヒーを入れて休憩を多めに取りながらこつこつと進展。(實藤)

ビスを買いに 

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ビスが無くなる。51mmのコーススレッド。

ここではいつもは潮風の事もあり、かなり割高なステンレスビスを使うのだが、
今回は安価なノーマルビスをケチらずに打つ方針。

もう少し材に厚みがあれば、木組みも可能なのだが(またこの方法を考える過程も楽しいのだが)、
機関銃の様にビスを打ちまくる作り方は個人的には少し芸がないな、と考えつつ
今回はとりあえず誰でも共有できる作り方で作る。

川俣丸に乗り、宇野のホームセンターへ買い出しに、と航海の準備をしていると、
玄関で花岡政夫さんの声。収穫時期となった土佐ぶんたんを戴けるという。

一輪車を押して、集落の斜面にある樹木園へ。
ご親戚などに配られる以外の少し小さめの実を一輪車に一杯程も戴く。(有り難うございました。)
冷暗所で、新聞紙等でくるんで1ヶ月程寝かせると美味しくなるとの事。

ライフジャケットを着込んで船を出し、一路宇野港へ。(實藤)

風景の切り取り方 

th__MG_0454-1(ドラッグされました)


風邪がなかなか直らない。今年の風邪はなかなかにしつこい。
この日も結局、午前中は寝床で過ごす。

スケジュール上は、今日が終了予定日。
この日は、東京アートポイント計画の橋本さんがご来訪。

橋本さんには、一昨年のコムカイ島作りの際にも、森さんと坂本さんと
連れ立って向島をご訪問頂いた。有り難い事である。

午後、橋本さんにもご参加頂き、せっせと根太部分の板を貼る。
寒さのせいか、ニッカド電池のインパクトドライバの調子が思わしくない。
リチウム電池のインパクトドライバは、値段は高いがやはりこういう時にはめっぽう強い。

ところで、このデッキは集落の周回通路ぞいのやや高台に位置していて向島の集落の風景が見渡せる。

出来るだけこの島の元来の風景を壊さない様に,基礎的な木工技術などの職人的修練を踏まえ、
普段つかいの身の動きの中にある視点を再構築する作業が、ISLAND CONSTRUCTION計画の主旨でもある。

今回は、この高台に一枚の平面を挿入する。

いたって単純な作業だが、少なくともその行為の意味は、この島の風景と交わり、
そして、開かれている。(實藤)



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