向島日誌 : Mukae-jima diaries

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牛島 もうひとつの向島 

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早朝、芦塚君が熊本へ直接帰投。

南北を走る一本道をてくてく歩いて北側の里浦港まで見送り。
船が着くまでのあいだしばしの集落探索。

ゲストハウス「islandgirl」は可愛らしい庭のあるとても居心地のいいところだった。
オーナーさんに見送られ、出航しようとするが、ロープの抜け止めがとれていることを
失念しており、海底に錨を落っことす。ががががびーん、である。船乗り失格である。
パンツ一丁になって潜ってみるが、満潮時ということもあり、引き上げは無理とみた。
「潮が引いたら引き揚げておいてあげるから、とりにおいで。」との優しい言葉に見送られ、
やや意気消沈のまま小浦港を出港。燃料補給のため本島へ。海をなめたらいけんのである。

つやつやのステンレスのシャックルと滑車のついた立派な錨の紛失を
しばし嘆く私にカワカドがいう。「あんた、まだまだ都会っ子やなぁ。」
「おまえ、お弁当箱持つ以外の仕事したんかい。」としばしいがみ合いながら
昼食を取る関西人2名。

まぁ、いいのだ。潮が引く頃にまたくればいい。

本島の北東にある瀬戸内海に4つある「向島」を一周した後、
干潮の潮に乗り、帰る。行きとはうってかわった快調な航海。
1時間半ほどの航海の後、本村港に到着。
カフェコンニチハさんでバナナミルクにありつく。(實藤)

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塩飽諸島へ03 佐柳島 牛島 


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高見島を出発後、25分ほどの航海。

同時刻に出発した赤と白に塗装された定期便フェリーと競争する様に、
佐柳島は長崎港へ。細長く入り組んだ港に入港。
定期便フェリーを待つ島の人が、やや訝しげな顔でこちらを見ている。

まぁそうだろう。場違いなほど小さな伝馬船で几帳面にライフジャケットを
着込んでやってくる変わった来訪者はそう多くはないはずだ。

日没までに、宿泊地のある牛島へ着かなくてはならない。
商店で、道を尋ね、やや急ぎ足で、集落の北にある両墓制の墓地へ。
かっては、一面の浜辺だっだのだろう一角は、奇麗に弧を描く防波堤で保護されていた。
今回のワークショップでいくつかの島を廻ったが、どれ一つとして、どの島として
同じ空気の色を持った島はない。

古墳の原始形態のごとき、小さな積石で亡き人を守るかのように造られた墓地群が広がる。
ほぼ隣の島といっていい高見島とも全く異なるその形相。

引き返す道すがら、困難を伴った航海からか、長く日に灼かれたからか、
ぐったりとした疲れを引きずりながらも、集落に分け入っていく。
集落を分け入ることほどなく、陽気な字で「喫茶 さくら 無料」とオレンジ色のブイに書かれた一角。
テーブルと椅子が置かれている。有り難いと腰を下ろすと、マスターのご登場。
「喰わんかね」という笑顔と温かい言葉とともに、ブドウや、カップアイスを次々に戴く。
旅先ではこういった好意に触れることが、やはり一番有り難い。
無意識下で、凝り固まっていた体と心がみるみる解けてゆく。
(誠に有り難うございました。)

食べ残しのブドウを手にぶら下げ、少し嬉しくなった気分のまま港に戻る。
ランニングを着たおじいちゃんが「なに撮っとるんやぁ」と陽気に話しかけて来てくれた。

南端にある本浦地区に少し立ち寄った後、長崎港での出航間際、
芦塚君がそのおじいちゃんから聞いた、一旦南下して東進する潮に乗るルートを行く。
果たしてその瞬間はやって来た。

潮に追いかけられているのか、潮の波に追いついては越して行くのか。
船外機の回転が重くなる瞬間のあと、軽やかになったエンジンの音とともに
海上を飛ぶかごとき加速で、船が前へ前へ押し出されて行く。
潮湧く島々の伝説を垣間見るごとき、体感。

西の太陽を背に受けて、なにもかもを包み込んでゆくかのような、海の声を聞く。
それは、この海が始まったころから、あったものだ。
かってこの海をわたった、この瞬間に、幾多の人々も感じただろう、
傾いた光に溶けてゆく、どこか懐しく、温かい、ざわめき、煌めき。

行きの半分以下の時間で、本島付近に到達。航路を横断し午後6時、牛島の小浦港に入港。
宿泊場所、アイランドガールのカートさんご夫妻が、港で待っていてくれた。(實藤)

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人間と動物とのあいだの社会的非連続について生涯考え続けたレヴィ=ストロースは、
『パロール・ドネ』のなかで、個体の死の認知と自覚化が人間社会を動物のそれから
分断する決定的な基点となったことを論じている。
それによれば、「社会は、動物がみずから死すべき運命を知ることを拒むものとして生じ、
文化はそれを知る人間の対応として生まれている」(『パロール・ドネ』、三十一頁)のだ。
すなわち動物や蟻の社会はみずからの死の意識を無知=不可知の場に追いやることで
集団的生命を獲得した。
一方で、人間はみずからが死を免れないという事実を知ることの上に文化を創造することで、
連続する集団としての生命の場から限界づけられた個人的生命の場へと不可避的に降り立った。
だから、蟻塚をまえにした人間にできることは、死の認知という種の分岐点に立って
社会と文化の生成のはざまを見つめ、個体としての死の認知を深く受け容れつつ、そこから
集団的「生命」の永劫回帰へと思いを馳せることである。
蟻塚の教訓は、種としてのこの謙虚さの発見にあった。

-『レヴィ=ストロース 夜と音楽』今福龍太、233頁より。

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個体としての死の認知を深く受け容れつつ、そこから集団的「生命」の永劫回帰へと
思いを馳せることである、という一文に思いがけず両墓制を重ね見る。

故人を単独で祀る埋め墓と、連綿と続く集団的生命へと思いを馳せる詣り墓。
死の認知という「種の分岐点」において、個と集団を車の両輪とみなしていた事実にこそ、
人の人たる所以があるのかもしれない。
(芦塚)






塩飽諸島へ02 高見島 

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一路、高見島を目指す。

やはり、正午に最大風速との予報は少し前倒しにずれ込んだらしい。
風は残るもののピークは過ぎたようだ。
とはいえ、時折船首が大きく持上がっては落ちる。8分のエンジン回転数をキープ。

午後12:30過ぎ、高見島に到達、浦港に入港。向島を出発したのが8:30。
休憩を除いて、3時間半ほどの航海だった。

先行して芦塚君が上陸、人気のない集落に分け入り、船の係留場所の指示を仰ぐ。
島の人に指示された係留場所に本係留したあと、先ずは腹ごしらえと
クーラーボックスから弁当箱を取り出し、定期便の発着待合所のある浜港へ向かい
鍵の締まった待合所の前の日陰で昼食を取る。
本日の昼食は2種類のおにぎりと、鳥の胸肉のパブリカグリル。
商店らしき建物は見当たらない。

高見島は島全体が海から見るとギアナ高地のごとき高台のような形をしている。
集落はその高台の袂に南北に細長く伸び、その名も「浦」と「浜」の2つの集落がある。
かっての海民の根拠地の系譜を残すその名。

海近くの平地に広がる浜地区の漁村を抜け、埋め墓と詣り墓で構成される両墓制の墓地へ足を運ぶ。
集落の南端、海辺の三叉路、眩しいばかりの日射しの下突如として広がる異形の風景に息をのむ。

埋め墓は、一抱えほどの可愛らしい墓石群により砂地の上に構成され、楕円形のその一角を
取り囲むように詣り墓と呼ばれる、見慣れた墓石の立ち並ぶ詣り墓の墓石群が取り囲んでいる。

墓地近くの島の方にこの風習の起源について訪ねると、埋め墓の敷地は限られており、
ここでは世代ごとに亡くなった方をその先代が埋葬された場所に埋葬すること、
つまり、埋め墓では常に新しい世代の墓所として認識されるため、代々の先祖を含んだ「イエ」として
参る必要性に応じて詣り墓が生成されたのではないか、というお話。
おそらく、各島の人口や、地勢的な状況に合わせて長期間の歴史の中で地域ごとのリージョンコードが
形成されたのだろう。

墓地の南にある高見八幡宮に参った後、来た道を引き返し、浦地区へ。
こちらにも北端に両墓制の墓地。浜辺の原型を留める一角にそれはあった。
南端の墓地とは、やや異なるその風景。ややランダムに構成されている。
まぁたった一度の短い滞在で、何が解る訳でもない。

墓地の傍らにある、急勾配の階段を上り、急斜面の高台にある浦地区の集落へ。
勝海舟の咸臨丸の乗組員として4名を輩出し、かっては塩飽水軍にその名を轟かせた
繁栄を偲ばせる立派な構えの家々が並ぶが、ほとんど人の気配がない。植物に覆い尽くされた家々も目立つ。
そう遠くない過去にかってその営みを支えていた骨格がごっそりと消え失せたような不思議な気配が漂う。
これもまた、瀬戸内海の島々の一つの断面なのだろう。

集落を抜け、なだらかな海への道を下る。
なだらかな坂を下って、船に乗り、ロープを解き、海に出る。
どこか、奇妙な静けさが背中に張り付いたままだ。

佐寬島へ。(實藤)

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荒波を越えて高見島の港内へ滑り込む川俣丸。
いつものように、係留場所の指示を仰ぐため島民の方を探す。
どの島でもそうだけれど、上陸するときには敷居をまたぐのと同じ感覚が惹起されるので、
人見知りな性格も手伝って少し憂鬱になる。

思えば、定期船で上陸すると、自分は「よそ者」であるという事実がどこか制度的に
薄められしまうようなところがありはしないか。
というより、むしろ個人船で上陸するとき、その異邦人ぶりがありありと実感される。

---

現代の僕ですらこう感じるのだから、昔のひとたちにとって島を巡ることは
異世界を巡ることと同義だったのではないか、と思わずにはいられない。
そして異世界だからこそ、こちらからあちらへ、島から島へ渡ってみたくなる。
自分が住まう島以外は異世界だからこそ、日本と朝鮮半島の区別も、日本と北方領土の
区別もなくなってしまう。

網野善彦がその著作において、「単一民族としての日本人」をことごとく否定しているのも
うなづけるのである。

その点、日本はどこまで行っても日本だ、という画一的な近代の制度(定期船、も
その一例だろう)は、僕たちの現場に感応する力を弱めているように思えてならない。



両墓制の墓地を参ると、艶やかな献花とお墓が互いにコントラストをなし、
綺麗な風景をつくっていた。
そういえば昨日はお盆、我が家の墓参りをせずして他人の墓参りとは何事だろう。
(芦塚)

塩飽諸島へ01 航海 

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Mukae studies vol.2、トリを飾る塩飽諸島へのフィールドワーク当日。
晴天、風速最大6m。

身体が少しこわばっている。
40キロという(川俣丸にとっては)前代未聞の航行距離であること、
そして大槌島以西への航行経験がないということがその最たる理由なのは
分かっているのだけれど、どうも身体が頭についていかない。

海へ出ればすぐに身もほぐれるだろう、という楽観に反し、
緊張は最初の休憩ポイントに見定めていた大槌島までの40分間、ずっと続く。
ここ数日間の凪とは打って変わって、強風で一面に白波が立っている状況においては、
それも仕方なかったのかもしれない。

實藤さんの判断により、航海続行。
航路、流木に細心の注意を払いながら西へ、西へ。
ほどなく瀬戸大橋にさしかかる。
ガリバーの心持でたもとから橋を仰ぎ見つつ通過、勢いをそのままに牛島まで。

それにしても、目標の島を目指すのは意外に難しい。
たとえそれが真正面に位置していても、だ。
幾度となく地図で現在位置、及び目標の島を照らし合わせてみても、
航行に伴って移りゆく島並は、船乗りをいとも簡単に惑わす。

その点、大槌島は全方位から綺麗なおにぎり型を維持していて、
遠方からも一目でそれと判別できるほど。
想像の域を出ないけれど、昔はおそらく瀬戸内海運のランドマークとして
一役買っていたのだろう。


牛島の民家でトイレをお借りした後、最初の目的地、高見島へいざ。
(芦塚)

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早朝、藤平さんと藤井さんを本村港まで送る。

カワカド合流。最終チェックを行った後、直島の南端を経由して出発。
天気予報では昼頃に風速6mの表示。晴れ時々曇。
時間帯はあまりアテにはならないが、とにかく昼までにどこなりとも陸地に着く必要がある。

やや強い西風。潮の流れと風に対抗する様に海面を進む。
真正面からの力に対して、船首が奇麗に持ち上がっては落ちる。
先日の大槌島からの帰りは潮の流れと風の向きが海面で喧嘩していた。
その状態に比べればマシだとはいえ、楽しいか?といわれればはっきり言って楽しくない。
乗員の命を預かる船長の責任は重大だ。
この3日ほどかけて研究していた、船の転覆事故のパターンの記録が頭をよぎる。

しばらくの航海の後、大槌島に到着。エンジンを休ませる。
航海の続行について芦塚君と話し合う。海上では無知故の蛮勇は慎むべきだ。
話し合った答えは「不可能では無い。しかし困難が伴う。」
上記を見る限りでは、ポーカーフェイスに見えた芦塚君もそれなりの緊張状態にあったようだ。

最短ルートとして考えていた北回りのルートを諦め、四国との距離が一番近くなるポイントで
一旦本船航路を横断し、いつでも航海を中断できる体制で陸地近くを6~8分の力で西進。
この状態では、予備エンジンの2馬力船外機など、何の役にも立たないだろう。
オールで陸地に到達できる距離を保つ。

ほどなくして、瀬戸大橋へ差し掛かる。
海面すれすれから仰ぎ見る罪深いほどのメガストラクチャー。

航路を再び横断。2番目の経由地、牛島へ。
固い地面に足を下ろすと、これまで感じた事のなかった様な安堵感が身を包む。

アイスノンで後頭部を冷やし、20分ほどの休憩、燃料タンクの残存燃料をチェック。
風と潮に抗いながらの航海にもかかわらず、それほど減っていない。
おそらく無補給での帰還も可能だろう。
やはり川俣丸サイズの伝馬船とヤマハ9、9馬力船外機は、重量バランスのマッチングがいいのだろう。
本村港に停泊中の船舶の多くがこのエンジンを搭載しているのも頷ける。

海と共に生きる生活の中から導き出されたリアリティ。(實藤)

家島 操船演習 


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午前。
藤井さん、藤平さんの来島を待って、一路家島へ。

家島の頂上付近には、山肌に張りつくようにして築かれている石垣がある。
以前から気になっていたこの場所へ、いよいよ歩みを進めてみることになった。
とはいえ、家島は無人島になって久しく、地表はどこも背の高い植物で覆われている。

川俣丸で島を一周し、登頂ルートを練る。
島西部の集落跡から尾根づたいに登るのが良さそうだ。

葦、枝、いばら、クモの巣、その他諸々をかき分けていく。
道なき道を行くのはとても体力が要る。
先が見えないため、尾根に乗った辺りでいったん引き返し、遅めの昼食をとることに。

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話し合いの末、今日中に登頂するのは困難だという結論に達し、一転
午後はカナル号による操船演習を行う。

2馬力の可愛いボート、カナル号は船舶免許なしで運転できるが、實藤さん曰く
「前進しかできないカナル号は川俣丸より操船が難しい」。

一通りお手本を見せた後、藤井さん、藤平さんが交互に演習。
初めてながらお二人とも飲み込みが早く、わずか数回の演習で本村-向島間を
なんなく航行してのける。
接岸後のお約束、モヤイ結びによる係留作業もマスター。

無事、ここに2人の船乗りが誕生。
(芦塚)

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家島の探検後、芦塚君がようやく復帰なったカナル号での操船演習を行っている間、
明日に迫った塩飽諸島への航海の準備にあたる。

船倉の中の物品を全て出し、錨や緊急備品の位置の整理と再確認。
長距離の航海に備える為、ワンタッチで燃料ホースを繋ぎ変えられる位置に燃料タンクを増設。
出来るだけタンクを船の中央に寄せて、復元能力を高めるバラストとして作用するよう工夫する。

船外機を唯一の推進力とする川俣丸では、ほぼこのエンジンに命運が託されることになる。
今回は不測の事態に備えて、カナル号の2馬力エンジンを予備エンジンとして搭載する。
固定ベルトの増設作業。
緊急時に最寄りの陸地にたどり着くには、オール漕ぎの補助として役に立つはずだ。

海上では全てが自己責任。
2重3重の保険をかける作業を行いながら、この言葉の持つ重みを改めて問い直す。(實藤)


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