向島日誌 : Mukae-jima diaries

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国東へ 


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BEPPU PROJECT主催の国東半島芸術会議へ。
石川直樹さんや山田創平さんのお話を興味深く伺う。

たとえば山田さんの
「文献によると、むかしは海難に際して、髪の毛を切って海へ投げ入れ、海神や船神、伊勢大神や
金比羅大権現など諸神仏に向けて、助かるよう祈っていた。
国東半島の山中から、埋められた髪の毛が見つかっていることを考えると、山と海は
とても結びつきが強いのでは。山の中に海があり、海の中に山がある」
という、物語を紡ぐかのような想像力にみちた指摘。

陸の視点だけではなく、海から見た国東を、ということばにフェルナン・ブローデルの
『地中海』を連想する。
また、あるいはナワトル語の重層的な技法「ディフラシスモ」。

―たとえば、ナワトル語では「からだ」という単一の独立名詞はほとんど存在しない。
 つねにそれは「私のからだ」というふうに所有形で語られるが、そのとき「私のからだ」と
 いう概念は、「ノマ・ノクシ」(私の手-私の足)という、併置されたディフラシスモとして
 表現されるのである。(今福龍太『薄墨色の文法』P216)

陸地史観だけではなく、海洋史観だけでもなく。
わたしたちの海-わたしたちの山、というディフラシスモによってこそわたしたちの
日本は浮かび上がってくる。



鹿児島県悪石島の「ボゼ」のスライドを見せながら「日本人は異形をやわらかく受け入れてきた」と
いう石川さんのことば。

異形、つまり自分とは異なる存在を受け入れる素養があった“多民族国家”としての日本、に
想いをめぐらす。



終演後、秋吉台国際芸術村主催のアーキペラゴワークショップで
ご一緒した関内さん、牛島さんと偶然出会う。
一番の収穫はこの大きな再会だった。

島が取り持つ縁。
(芦塚)








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熊本、キラウエア、向島 

ハワイ、ハワイと夢見てきたが 流す涙はキビの中

行こかメリケン 帰ろか日本 ここが思案のハワイ国

今日のホレホレ 辛くはないよ きのう届いた里便り

横浜出るときゃ 涙ででたが 今は子もある 孫もある

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2010年暮れ、秋吉台国際芸術村主催のアーキペラゴワークショップに参加したとき、
山口県、沖家室島は泊清寺の新山和尚にハワイ移民の労働歌「ホレホレ節」を
歌い聴かせていただいた。

徳島から一本釣りの漁法がもたらされた江戸時代以来、“家室千軒”とよばれるほどに
繁栄をきわめた沖家室のひとたち。
漁場を求め、日本近海のみならず、台湾へ、朝鮮半島へ。
遠洋へ赴くことをいとわない海の民としての性格に加え(沖家室のひとたちは
村上水軍の末裔とも言われている)、農業だけでは生計がたたないのも手伝って、
明治時代、沖家室島は全国でも屈指のハワイ移民の送り出し地となったそうな。

ここでふと、今福さんの『群島世界論』の一節が思い出される。

「意識の多島海にひとたび漕ぎだせば、もはや単純な帰還はない。
世界の、海底での連結の事実に気がつけば、故郷という土地は樹々からこぼれ落ちる種子のように
海上に散種され、世界の無数の汀へと流されていく。」

-

最近読んでいる『はじまれ 犀の角問わず語り』には、そんなホレホレ節の伝え手、
ハリー・ウラタ翁に会うため、著者の姜さんがハワイを訪れたときの回想録がしたためられている。

以前、姜さんもウラタ翁も熊本に住んでいた、という思いがけない符合もあり、再び
『群島世界論』が脳裏をよぎった。

先の引用部にそのまま続く文章である。以下、

「振り向いた水平線上から帰るべき陸地が消えた時、人ははじめて未知の自由を得る。
〈わたし〉こそが水平線であることを発見するからだ。
一人一人が、自らに絡みつく歴史と政治の緯度や経度が錯綜した水平線を舟とともに曳航し、
その〈わたし〉という水平線の出逢う交点に一つ一つ島が出現していく。
自らが引きずるのと瓜二つの水平線、時空のはてなき拡がりと炸裂のなかで
未知のまま結びあっていたもう一人の〈わたし〉、〈わたし〉の分身のような水平線が
どこかの海から訪れ来る。
背後に置いてきた故郷ではなく、前方にかすむ起源が、未来へと向かう水平線の
運動のなかに書き込まれていく。」(芦塚)


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ICC、森美、目黒、新美、その他もろもろの現場を巡って東スタの仕事も一旦キリ。

木工所の整備が遅れていたため、間隙をぬって島入り。

深夜バスも慣れてしまえば、これ以上ないくらいコストパフォーパンス
と効率のいい移動手段もない。(仕事上がりの夜に飛び乗り、温かく寝ている間についてしまう。)

それでもカーテンの隙間から差し込む高速道路の照明がバスの天井に
しゅんしゅんと瞬くのに見入ってしまい、暗闇の中、ついいらぬ熟考の時を過ごす事になる。

岡山からの高速バスで、寝不足の目で見る朝の光に照らされるロードサイドの風景は
そんなに好きになれないが、やはりフェリーに乗り、海に入った瞬間に
そんなことは、いつもどうでも良くなってしまうのだった。(實藤)




河原町 川縁のゼロセンター 

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午前、河原町へ。

かっての繊維問屋が連なっていたアーケードのあるパサージュ空間に
カフェや若手アーティストが入居している。
こみこみしたモータリゼーション以前のヒューマンスケールの空間に、
カラフルな変数が凝縮してが詰め込まれた空間はいつだって面白い。
この日は月の一回の市が立っていた。

芦塚君が修行中の設計事務所、長野聖二さんの人間建築探處
河原町の中でも初期に入居されたとのこと。

昼過ぎ、芦塚君に借りた自転車に乗って熊本の市街地を抜け、
ちょうど街の反対側にある「0円ハウス」の坂口恭平さんのゼロセンターを訪れる。


3月11日以降、熊本に居を移されてからのツイッターのアクションが刺激的で、
同世代である事や、自身の思考とも、どこかリンクしているような印象を受けていた事もあって、
一度お話を伺いたいと思っていた。
小一時間ほど様々な事をお話させて頂く。ダイレクトな言葉の数々。

帰り道、何処か遠く、しかし傍らにある流れの中で、繋がっている様々な事象を思う。(實藤)

たつたやま 

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th__MG_9916-1(ドラッグされました)

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朝、カワカド帰る。

昼、芦塚君と合流。
まずは腹ごしらえと、芦塚君のアパートの近くの定食屋さんへ。
量がたっぷりしていて安く、美味しい。地元のサラリーマンが次から次へと。満腹。

「こういう店って大事だよなぁ」などと話しながら、市電に乗り、熊本を巡る。

昨年の五島列島行きに続き、熊本訪問は今回が2度目だが、通過するのと滞留するのでは
街の見えかたが全く違う。異邦人の視点と、生活者の視点と。

熊本駅の駅前には西沢立衛さんによる駅前の再整備が進行中。
巨大な天蓋を思わせるダイナミックなシルエットを描く構築物。

西沢さんの建築は、どどんと存在しながら、かといって鈍重な重さもなくのびやかに空間を成形するので結構好きだ。
明確な意図による乾いた空間のディメンションがある。
(ちなみに熊本の皆さんはこの天蓋を「しゃもじ」とよんでいるらしい。
 どことなくオスカー・ニーマイヤーの曲線を思わせる。)

小泉八雲邸を訪れた後、バスに乗り、細川家の菩提寺である秦勝寺のある立田山へ。
巨大な五輪塔が祠の中に格納された細川忠興、その妻のガラシャの墓所を見学した後、
芦塚君の知人のさかむらさんが花を生けられている茶室へ。

戦国時代の、家や家臣への重責を背負い、明日の生死をかけ、蛇の巣の様な謀略に相見えながら
生き抜いた武将兼茶人達による政治の場でもあった茶室の美学。静かな緊張感が張りつめる。

再びバスに乗り、市街地の中心部にある熊本県立現代美術館の図書室に立ち寄った後、古本屋を巡る。
夜、芦塚君の修行先の長野さんの建築事務所の忘年会にお邪魔する。(實藤)

三月の5日間 

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ゾラ・ニ-ル・ハ-ストンの文章をつらぬく特徴を自由間接話法の
多用の問題として論じているのがヘンリー・ルイス・ゲイツJr.の
「ゾラ・ニ-ル・ハ-ストンと喋るテクスト」である。
自由間接話法の特性は、物語の主人公と、それを客観的に物語る
テクストの語り手の意識との一種の混交状態にある。

-『クレオール主義』今福龍太P238より

観劇後ほどなくして出会ったこの一節にふと思い返す。
『三月の5日間』は自由間接話法の援用なのかもしれない。

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實藤さん、カワカドさんとともに、熊本で公演されたチェルフィッチュの演劇
『三月の5日間』を観に行ったのだけれど、
僕が上のように感じたのも物語の進行が独特な形式だったことに因る。

登場人物ひとりひとりが演技のみならず物語のナレーターと観客(!)を兼ねる。
ナレーションし終わった途端、舞台袖にハケたり、そのまま舞台脇に座り込んで
他の演者の演技を観客同様に眺めたりする。

セリフ、ナレーションの同語反復。

そうして次第に客席と舞台の境界/観客と演者の境界が柔らかくなった。
境界線があまりに太くなって、誰もがその線上に乗り合わせた、ともいえるかもしれない。

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渋谷慶一郎さんがいうように「日常が終わることが明確になった」災後のいま、
対称的にこのような終わりの見えない(ずっと続いていくような)演劇を観て、
なんだかフワフワとした浮遊感だけがからだに残る。
(芦塚)

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