向島日誌 : Mukae-jima diaries

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bon voyage 

bon voyage!
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2013 

明けましておめでとうございます。

小豊島 


雷が鳴りをひそめ、あやしい雲行きも遠のいたのを見計らって、
11時過ぎ、小豊島を目指して出航。
その名の由来は豊島の近くにあるからというより、むしろ豊島に形が似ているから
という理由が大きいように思える。

一方。
瀬戸大橋を越えた西の彼方、佐柳島のほど近くにも手島-小手島があるのだけれど、
こちらは形に相関関係がなさそうである。

島の名前は面白いもので、大槌島があるかと思えば小槌島があり
直島の向かいには向島がある。
男木島に寄り添うようにして女木島があり、どちらが先か、犬島と犬ノ島がある。

主従関係であったり、並列関係であったり、島々は響き合っている。
グリッサンになぞらえるならエコ=モンド(世界の響き)といったところ。

島という存在それ自体が海を希求しているのと同時に(海から顔をのぞかせることなしに
島は島と呼ばれない)、此方の島は彼方の島を求めているらしい。



そんなことはさておき、小豊島である。
興味深かったのは、牛の畜産で名高いこの島らしく、波止場に畜魂碑が祀られていたところ。
鯨墓みたい。」實藤さんがつぶやく。
捕鯨が盛んだった山口の青海島でも、同じようにして鯨を祀っていたことを思い出す。

人間と動物とのあいだの社会的非連続について生涯考え続けたレヴィ=ストロースは、
『パロール・ドネ』のなかで、個体の死の認知と自覚化が人間社会を動物のそれから
分断する決定的な基点となったことを論じている。
とするならば、
ひとが牛や鯨を祀る行為の意味は何なのか。
難しく考えるまでもなく、きっとそれは両者の連続を取り戻す試みなのだと思う。
(芦塚)

航海のはじまりの日に 

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買い出し

初日、買い出し日。

直島の小高い丘の上にある直島町総合福祉センターに出向きボランティア保険の申請、
木村プロパンさんにガソリン80リットルとオイル500cc5本を
(2種類あるのだが、ヤマハ純正の缶入りをいつもお願いする。)えいやと発注。
そうこうしている間にクロネコヤマトさんにより海図の到着などもろもろの応対。

向島在住の離島配達郵便船の船長、花岡さんによる郵パック以外の宅急便は
基本的に船をだして対岸の本村まで受け取りに出向く。

参加者の第一陣が夜入り、と言う事もあり、
船底塗装とデッキを塗り替えたばかりの川俣丸に乗って単身で宇野に買い出し。

買い出し時に重宝する軽量のプラスチックのフネのついた一輪車がパンクしていた事もあり、
潮風で錆び付いた鉄製の一輪車とクーラーボックスを詰んで宇野のタマヤとダイキを巡る。
ダイキでプラスチック一輪車のスペアタイヤが一ヶ1,780円のトコロ、在庫処分の568円の大セール。
少し迷った末、これを逃すとこの場でこのスペアタイヤに巡り合う事はないだろうとの読みのもと、
まぁ本来は一個の値段で4つ買える訳ね、と4つ購入。

錆び付いた一輪車にクーラーボックスと買い物袋満載の食料、
スペアタイヤ4つを積み込み港に戻る。

川俣丸の定員は4人だが、この9、9馬力エンジンの小さな伝馬船で
海上を滑るように進む爽快感を得られるのはせいぜい2人乗りの状態の時のみ。

荷物を積んで、快晴の夕暮れ前の海に繰り出す。
灯浮標を右旋回しながら、四国汽船のフェリーが海の上を進んでゆく。

航海のはじまり、海と交わり、海に抱かれる日々のはじまり。

夜、加藤君、館さん、白石君が合流、海図を拡げ、分厚い直島町史を紐解いて予習等。(實藤)

準備 

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春に植えた固定種の野菜が農業番長、よっちゃんにより見事に育っている。
垣根の手入れ、原っぱに生い茂っていたセイタカアワダチソウをばさばさ切る。
川俣丸再び海へ、係留ロープ、船倉を整理する。ポスターをもってwe love naoshima様にご挨拶。
カナル号洗浄などなど。(實藤)

船底塗装 

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6日に島入り。

参加者の皆様のメール応対、プロジェクト船、筒井さんにお手伝い頂き、
川俣丸のドック引き揚げ、船底及びデッキ塗装、
カナル号を下ろし2馬力エンジンの動作チェック、海図の発注などなど。(實藤)

mukae studies vol.6 小航海時代 

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*定員に達したため申し込みを締め切りとさせて頂きました。
 ご協力頂いた皆様、誠にありがとうございました。

さて、来る8月10日から16日まで6回目となったmukae studiesを開催します。
今回は昨年の「船乗りになる」の継続プログラムとして、小さなプロジェクト船
川俣丸にのって、近隣諸島のフィールドワークを行いたく思います。

当プロジェクトの前提条件としてある、小さな船で海を渡る事
生き物感を増した夏の海を、海をすぐそばに感じられる小さな船で航海する行為には
シンプルではありますが想像する以上の体験の強度が含まれています。

少しの心細さ、知らない島に上陸する高揚感、ちょっと暑かったりすること、
帰港時のホッとするような感覚などなど。

(去年の様子はこちら)

船の定員の都合もあり、今回は各日程3名の参加者です。
ご希望の方はお早めにお申し込み下さい。

期日2012年8月10日(金)~8月16日(木)
場所 香川県香川郡直島町向島
実行主体 MCAC (mukae contemporary art constructors)
参加費用 一日辺り1,000円(食費、燃料費の実費のみ)     
      ボランティア保険(通しで500円程度、一年有効)
募集人数 各日3名
宿舎 プロジェクト宿舎での合宿、日程が揃えば、島でのキャンプ等もあり。
必要物 キャンプ用品一式

ご参加希望、お問い合わせは参加期日、住所、氏名、連絡先をご記入の上、
mukaijimaproject@gmail.com までご連絡下さい。

ご参加お待ちしております!



海の時間 


サバンナのモシ族では、王宮でさえ建造物としてモスクほどの
持続性はなく、しかもかつては王の代がかわるごとに王宮の
場所も移して建てかえるならわしだったのです。

その上、王位継承争いに伴う王朝の分裂・移動が頻繁だったために、
王朝の歴史は空間の一定点に集積されず、ほぼ等質で広漠とした
草原の上を、あたかも黒板の上にチョークで描いては消すように、
「時」は空間に拡散しながら歴史を形作っていったといえます。

-『音・ことば・人間』武満徹、川田順造


層として垂直に堆積する歴史とは対称的な歴史の有り様である。
海もまた同じで、限りなく水平に展開する視野と時間は、
わずかな余韻の後に雲散霧消してしまう。
言い換えれば永遠の現在性ということになるのだろうか。
それはあながち間違っていないように思える。

たとえば、1596年、大地震によって一夜にして別府湾に消えたと言われる瓜生島。
島の歴史は海という媒介をとおして伝説に変貌し、現在にまで語り継がれている。

個人的に、浮き島で瓜生島を再現できたら、などと想像が広がる。(芦塚)

小さな灯 

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フィールドワークの翌日、この日は藤平さんが善通寺市から合流。
GWも終わった事もあり、カフェ中奥で働く同居人、竹中君も欠伸をしながらワークショップに参加。

ワークショップの開催期間にはいつも頭を悩ますところだ。
参加者が社会人メインという事もあるが、直島諸島含め瀬戸内海はGWは繁忙期。
つまり何処もかしこも忙しい。

とはいえ、オリジナルメンバー含めて社会的な生業をもっていれば、
1週間単位のワークショップに参加できる慣例的な休業期はやはりこのあたりに集中する事になる。
まぁこの辺りは、ややガタピシしながらも継続するしかないのだろうな、などと考える。

ガラスの灯体内に密封してしまうことになるので、結露で基盤系統が傷まないように
基盤周りをシリコンで防水処理。

ステンドグラスの技法を応用して作っていた灯体もやや肉厚気味に盛っていたハンダを
リューターで仕上げ加工する。

さて、灯体のガラスと小さな太陽光パネルをどう固定するかにに頭を悩ましていたのだが、
クリアのシリコンで天面のガラスに圧着する方法を思いつく。
ほんの少量のシリコンを太陽光パネルに絞り出して圧着。
シリコンが薄く広がった事もあり、おそらく充電ロスはそれほどないと思われる。

とりもなおさず、小さな灯がともる。(實藤)

男木島 みる きく あるく 

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フィールドワークの日。

ワークショップ内の期間中は、休日を兼ね、かならず一日は
フィールドワークに出かける事にしている。

今回の目的地は男木島。

丁度この日は4人だった事もあり、川俣丸で備讃瀬戸東航路を越えて渡航しようかとも
考えたのだが、あいにくの風速8m強の表示。

宮浦港から四国汽船の高速船、高松で朝食のうどんを食し、後、男木島のルートでめおん号に乗る。

ぷりぷりしたフォルムの雌雄島海運のカーフェリー、めおん号は私の大のお気に入りで、
これくらいのサイズの群島をめぐる周遊船があったらさそかし楽しい事だろうと
デッキで偶然お会いした藤平さん交え、と高松から男木島に向かう。

休日の高松港は華やかだ。
この海域を巡航しているそれぞれの船会社も個性豊かで、飽きない。
(ちなみに直島メインの四国汽船は船がいつも新しいペンキでつやつやしており、奇麗でスマート、
 小豆島の四国フェリーは紺色の下部塗装にOlive Lineの赤文字、風格がある。)

上陸後、豊玉姫神神社にかけあがる細い露地を行く。
港すぐの鳥居からうねうねと丘のてっぺんにある神社までの経路を振り返ると、いつも海が見える。
霧の中にかすかになった海と空の境目に向かって風景が開かれている。

豊玉姫神社には山幸彦と海幸彦の伝説がある。
ある日、お互いの道具を交換して海に出かけた山幸彦は大槌島と小槌島の間で針を落としてしまう。
困った山幸彦の前に海神が現れ、東の島にその針があるという。

東の島を訪れた山幸彦は、男木島へたどり着き、豊玉姫と出会い、結ばれる。
やがて身ごもった豊玉姫は子浜(こもがはま)で出産するが、その姿を覗いてはならないという
約束を守れず、山幸彦はつい覗いていまう。
そのとき姫はワニ(サメ)の姿になっていた。その姿を見られた姫は海に帰ってしまうー。

どこやら日本神話のイザナギとイザナミの話を想起させような伝説であるが、
これを暗喩的に読み解いていくとこういった話も出来るのではないだろうか。

ワニ(サメ)を海の民族のトーテム(部族を代表するシンボル)と仮定すると、
かって異なる信仰を持っていた部族間の首長どうしで何らかの外婚関係が発生した。
出産時のしきたりが、部族間の信仰では異なっていたため、山幸彦(と称される人物)は
その場への立ち入りが許されなかった。しかしそこでなんらかの悲劇が発生した。
その悲劇を鎮めるために、その地の人々は、海の見える丘の上に社を建立したー。

以上は当然の事ながら、私の勝手な妄想であるのだが、現在はこの豊玉姫神社は
安産の神様として知られている。そして男木島のすぐ近くには女木島がある。
そして豊玉姫は海神の娘である。うーむである。

などなどを考えつつ、集落を巡っていると突然の暴風雨。
海を見やると、空の色を写し込んで黒く変色した海の上、白波がうねっている。

「無理して航海しなくてよかったなぁ。」と強い風の吹き抜ける露地を彷徨い、
オンバファクトリーさんのカフェに避難。アーティストの大島さんとお話しさせて頂く。

「カフェなんかする気なかったんだけどね。」と苦笑されながら様々な事をお話し頂く。
大島さんは高松でお仕事の傍ら、毎週末、ご夫婦で男木島へ向かい場を維持されている。
ご本人も頼もしい兄貴分の様な方で、大島さんご夫婦の存在がなければ芸術祭後の男木島も
随分寂しいことになっていたのだろうな、と思う。
粘り強くその場と生活レベルから関わり、訪れる人と島を結びつける媒介の様な
人と場が存在し続ける事の大切さと、大きさを改めて思う。

集落を上り詰め、周回道路を一周。
標高が高い位置を巡っている周回道路の木立の影からだしぬけに巨大なタンカーが姿を現す。


高松港周りで帰投。(實藤)(實藤)





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